生まれてくること、そして生きていくこと

雨の東京、皆様いかがお過ごしでしょうか。

気圧の関係か、体がだるく、フットワークがおもおも。


息子は、学校休みだし、まぁいっか〜という具合で土曜日の午後を過ごしています。


息子が、レゴに夢中になって遊んでいる間に、録画していたドラマを観ようとリモコンを手に取りました。


最近ハマっているドラマは、TBSの「コウノドリ」。

綾野剛さんが主演のドラマで、先日、夢にまで綾野剛さんが出てきました。(ありがとうございます、綾野さんw)


早寝を心がけているため、ドラマは毎回HDDに録画して、あとからみるようにしています。


このコウノドリは、みるたび涙してしまいます。


私黒木は、こう見えても一児の母でございます。7歳の男児のシングルマザーでございます。子供に関連する物語、病気に関する物語など、最近は特に涙腺を刺激されます。


人が1人生まれてくるということ、人が1人生きていくということ。

産むことも、育てることも母親としての責任が常につきまといます。


我が家の息子は、ありがたいことに無事に生まれてきてくれました。(陣痛開始から23時間もかかりましたが……)


世の中には、ハンディを抱えて生まれてくる子も、せっかくこの世に生まれても、病気ですぐに亡くなってしまう子、様々でしょう。


それを考えたときに、無事に生まれてきてくれて、病気や学校で問題を起こしながらも、こうして、笑いながら一緒にご飯を食べて、時には泣いて、時には叱ってという何気ない毎日が、当たり前ではないことを痛感するのです。


あれは、5年前、離婚してすぐの出来事でした。

2歳だった息子は、言葉もまだ達者ではなく、痛みを訴えることばすら正直意味不明w

下腹部痛を訴えた(多分w)息子を、町医者に連れて行くと「鼠径ヘルニア」という診断。すぐさま、大きな病院にかかるようにといわれ、そのまま小児科専門の大きな病院に向かいました。


検査の結果、手術が必要とのこと。

離婚してすぐでしたし、正直生きていくことすら不安、将来が不安、何もかもが不安だった時期です。そこにきて、息子の入院+手術。

私は、ショックのあまり、「突発性失声症」になりました。初めての入院+手術という大きな不安を抱えている息子に、1番声をかけて安心させてあげなくてはならないときに、声が全くでないという事態に陥り、私は1人でパニック。


手術中、先生から呼ばれ、、、え!?……え!?何かあったの!?という状態で、カンファレンスルームに。


執刀医「手術は成功しました。しかし、開腹して中を見たとき、息子さんの内部組織が非常に弱いということが判明しました。それが、今後の成長によってどう変化を遂げるかは、我々も判断をしかねます。様子を見守るしかありません。」


……と、告げられました。

全く、意味がわかりませんでしたw


先生に、聞いても全く飲み込めず……。


しかし、手術は成功したのだから、ひとまずは見守っていくしかない!

それに尽きました。


息子は、熱性けいれんもよく起こし、毎回毎回ヒヤヒヤさせられっぱなし。

7歳になった今も、風邪はよく引くし、体が強いとは決していえません。しかし、大病こそしないことが幸いです。


世の中には、移植が必要な病気や、命に直結するような病気にかかってしまう子もいるのが事実。


そう考えると、今あることはすべて「当たり前」ではないということ。

人は、いつどうなってもおかしくないということ。

命とは、とても尊いということ。


とても感じるのです。


昨晩、息子は21時に就寝。

私が、ベッドに行く頃、息子の手が布団からにょきっと出ていたのが、たまたま目に入りました。


手を触ると、なんだか無性に愛おしく感じました。


手が大きくなっていたのです。(病気ではありませんw)


毎日毎日見ている手だけれど、なんだかお兄ちゃんになったな〜と。

昔は、もっと小さかったはず。なのに、なんだかとっても大きく感じたのです。


息子を守っているつもりでも、知らないうちに私が守られているのかもしれないな、と感じました。


無事に生まれてくることは、奇跡であり、無事に生きていけるということも奇跡なのだなと。


だからこそ、1日1日を大切にしなければならないと痛感します。


明日を生きたくても、生きることができない誰かのためにも。



0コメント

  • 1000 / 1000